2009年6月17日水曜日

5月5日クマムシの研究発表

(参加者の楠茂幸さんのブログから http://blog.suzaka.ne.jp/kusunoki/)

カメムシじゃありません。足が8本もある動物です!
緩歩門動物(カンポモン)というその名の通り、とてもゆっくり動く動物で、歩く姿が熊に似ているのでその名がついたらしい。

講演する湊君で、峰の原の中学生湊君がその研究で『つくば生物研究コンテスト』で金賞を受賞し、本人によるその記念講演会が今日あった。その研究振りに聴衆一同感心しきり。

高温、超低温、超高圧、乾燥、放射線等に耐えられ宇宙空間に10日間おかれても生存していたという、まるでエイリアン。

そういえば、フィロキセラも土の中で過酷な状態に耐え条件が整った時だけ活動を初めて葡萄の根っこに危害を及ぼす。クマムシが悪さをする動物でないことを祈ります。


2009年6月16日火曜日

城殿さんのマナグア通信 番外編:コスタリカ見聞録8 旅も終わりに(完結編)

 コスタリカ滞在も残り2日となった4月10日は、セマナ・サンタ(聖週間)最大の山場であるサント・ビエルネス(聖金曜日)。この日は、前日の保全地域の周遊で行きそびれた、通称カリとペトローナのサンタ・セシリアの自宅を訪問。サンタ・ローサ国立公園内の食堂で朝食をとった後宿舎に戻り、愛用のダイハツ・テリオスにこの日もお世話になる。

 公園入口を左折し、パンアメリカン・ハイウェーを北上。途中給油のためサンタ・セシリアへの分岐点を過ぎた数キロ先にあるラ・クルスの町に立ち寄る。セマナ・サンタ期間中でも利用客の多いガソリン・スタンドやスーパーは営業中だった。この町からニカラグア国境までは15キロほど。眼と鼻の先に国境の町ペニャ・ブランカがある。スーパーでお土産代りにお菓子等を購入し、来た道を分岐点まで引き返す。分岐点には麻薬などのご禁制品の検査のため、国家警察が睨みをきかせている。ここからサンタ・セシリアの町まではやはり15キロほど。道中、オロシ火山を右手に眺めながらその山麓を取り巻くように進む。グアナカステ保全地域(GCA)の境界を過ぎると一面オレンジ地帯が広がる。この一帯はコスタリカでも有数のオレンジの栽培が盛んな地域だが、その歴史は浅い。15年ほど前までは粗放な放牧地だった場所だ。1970年代は中南米のあちこちでアメリカ向けにハンバーグ用の脂肪分の多い熱帯育ちの肉牛の生産が投資目的で盛んに行われた。現在GCAになっている一部でもそのために牧場造成が進んだが、厳しい乾季と土壌の劣化で売りに出される土地が続出した。GCAの土地の多くがそのような部類の土地を買い上げられたものである。現在立派に成長したオレンジ農園も外国資本が買い取り後に生まれたものだ。その代表格がGCAに隣接するデル・オロ社。

 デル・オロ社とGCAは浅からぬ縁がある。デル・オロ社がこの地に進出してオレンジ・プランテーションに着手した際、ジャンゼン教授やGCA関係者は病害虫防除の手段として農薬を散布することなくオレンジ生産を可能にするいくつかの提案をした。それを実行する前に母校のペンシルバニア大学の大学院生たちにこの地域のオレンジ栽培での病害虫に天敵がどれくらい寄与しているか、もし農薬を使用した場合のコストと周辺への環境影響をおおざっぱではあるが定量的に分析したデータをとらせていた。教授たちはこれらのデータを持ち寄って会社幹部と交渉を重ねた。当時はまだエコ製品は珍しかったが、ここで生産されるオレンジ・ジュースは環境意識が高まりつつあったヨーロッパや米国の市場向けということもあり、保護区の周辺で無農薬で栽培されたオレンジ・ジュースは市場での信認(いち早く国際的なエコ製品の認証も)を受けた。また、ジュース加工場が栽培地の一角に建造されると、ジュースの絞りカスの処理を保全地域内の自然再生が土壌の劣化で困難な個所で行う見返り(廃棄物の分解を保護区内に生息するハエの一種の力を借りて行い、保護区内の劣化した土地は肥沃度を回復し、急速に自然再生が始まった)として隣接地(当時の地価で47万ドル相当)を保全地域がもらい受けるという1種の環境サービスの新たな事例が注目を浴びた(世銀の資料などにも登場した)。しかし、この試みは当時の環境・エネルギー大臣(判事出身)の不興を買い、ACGの担当者と責任者が法廷に立たされることになった(国立公園法では、公園内へのゴミ投棄は罪である。事の舞台になったグアナカステ国立公園は80年代終わりに保護区の将来を模索する新たなプロジェクトとして発足し、今日の保護区行政のヒントを提供していたが、法制度はその動きに同調していなかった。このずれが判事出身の大臣の見解を変えるには至らなかったのである)。しかし、次の環境大臣(コスタリカの環境法の第一人者のひとり、私がインビオにいた時の法律顧問)になって事態は大きく変わり、関係者は保護区内の生態系の再生の一つの手法(周辺地域との関係を考慮しながら)を開発したとして無罪放免になった。
 現在、デル・オロ社は先の事例を参考にして廃棄物の処理施設を敷地内に設け、そこから生産されたコンポストは自社の圃場や販売品として利用している。

 サンタ・セシリアの市街地の舗装が切れる地点でカリ(いつもそう呼んでいるので、いまだに正式なフルネームを知らない)が出迎えてくれていた。自宅に行く前に、日本大使館の草の根無償協力の支援で建設中の多目的ホール(公民館といった方がわかりやすい)に案内してくれた。私が知っている彼はGCA内の最も雨の多い場所に設けられた生物ステーション(Pitilla)で動植物の台帳作りに余念がない生物学者もたじたじの博物者といった感じの人物。しかし、彼は実に多彩な顔を持っている。未だに法衣をまとった姿を見たことはないがれっきとした牧師でもある。そんなこともあり、町や町民の将来についても実に熱心に取り組み、人望も厚い。公民館の建設は彼が住民の福利厚生や子供たちの社会教育のための場として考えているようだ。彼の頭にはすでにその絵姿が描かれているようだ。この日はセマナ・サンタでも重要な意味を持つ日であることはすでに触れた。途中で、町中を練り歩くカトリックの聖職者や信者の一群にであった。一行が練り歩く人家は決まっており、カリの家は最後に聖職者が立ち寄る最後の家になっていた。

 カリのこの家を訪ねるのは2007年8月にサンタ・ローサ国立公園が国立公園の日のホスト会場になった時に招待された時の合間を縫って、ロヘルと一緒にGCA内を周遊した際に立ち寄って以来だ。その時はまだ建設中で、あちこちに資材が散らかっていたが、今回はすっかり完成し、壁にも塗装が施してあった。いつもはPitillaに出かけ森の中に分け入ってはチョウやガの幼虫やその食草の採集に忙しくしているが、この日はセマナ・サンタの特別の日とあって、一休み。一家全員や親戚たち、それに先ほど見かけた行列の聖職者たちが集まるという。一足先に訪れた私にペトローナが食事の用意をしていた。すっかりごちそうになった後、カリが愛用のブックマックに収納されたガやチョウの幼虫の数々の写真を披露してくれた。以前彼らと行動を共にしていた時はニコンの一眼レフで接写したスライドをスキャナーにかけ、やっとコンピュータに画像を収納していたことを考えると、デジカメの登場で彼らの仕事が飛躍的に楽になり、撮影の失敗もなく接写も簡単になった。技術の進歩は生物多様性の保全の現場にはますます心強いツールになっている。来客たちの対応で忙しくなった彼らにお暇の挨拶をして、サンタ・ローサへの帰途に就いた。

 4月11日(土)。いよいよセンチメンタル・ジャーニーも最終日を迎えた。朝食で腹ごしらえした後、教授夫妻にお別れの挨拶をして、いったんリベリアの空港近くにあるレンタカー会社に向かった。国境の町で乗り捨ても可能だが100ドル余分にかかる、社員と一緒なら同じ場所まで50ドルですむという。同じ車で社員が運転し、国境の町ペニャ・ブランカのコスタリカの税関事務所前で降りた。出国印を押してもらい、200メートルほど先のニカラグア側の税関まで歩く。反対側から大きな荷物と一緒にたくさんの人たちが歩いている。たぶん、故郷でのセマナ・サンタの休暇を終えてコスタリカに戻る出稼ぎかコスタリカに在住しているニカラグアの人たちだろう。私は逆コースなので、税関で待たされる時間は大したことではなかったが、ニカラグア側からくる人たちは税関手続きで相当待たされているようだ。入国手続きが終わったところで、マナグアから私の車で迎えに来ているはずの運転手とアシスタントに電話を入れた。予定通り指定の場所で待機中という。これまでにニカラグア側のペニャ・ブランカには近くに所用のついでに何度も足を運んでいるので、すれ違いということにはならなかった。久しぶりに愛用のダイハツ・テリオスに乗り込み、2時間余りのマナグアへの行程を何のトラブルなしに終えることができた。マナグア郊外の自宅には午後3時前に到着。11日間のコスタリカへの旅は完結した(完)。









城殿さんのマナグア通信 番外編:コスタリカ見聞録7 気の向くままに

 リンコン=カカオ生物回廊の充実ぶりに安心し、サン・ヘラルド生物センターでセマナ・サンタ限りの手作りクッキーをほおばった後も、気ままなドライブは続く。すぐ先のドス・リオスの市街地をすり抜け、リンコン・デ・ラ・ビエハ火山の麓を一巡りするコースを進む。エル・ガビラン、ブエノス・アイレスの農業入植民が開いた小さな集落が散発的に現れる。市街地以外では自家消費用に住居の周りにはイモ類や果樹類が植栽され、その周辺は放牧用に切り開かれている。時々、高級サラダの食材に出されるパルミートというヤシ類が一面に植えられた場所もある。しかし後継者不足で農業に見切りを切って売りに出されているところも数多くあるという。

 10年近く前から熱帯乾燥林帯や湿潤林帯の乾燥化(温暖化の影響?)の進行を先取りしてグアナカステ保全地域(前回の見聞録では触れなかったが、同保全地域は1999年にコスタリカでは3番目のユネスコ世界自然遺産に登録されている)内での低地の湿潤地帯の拡充を狙って、リンコン・デ・ラ・ビエハ山麓地帯の自然林の多く残った地域の土地所有者と協議を重ね買い取り交渉を行ってきた(現在も続けている)。リンコン・レインフォレストといわれるプロジェクトで当初計画した対象地域の土地の大部分の買収を終えている。この区域は、将来グアナカステ保全地域への併合を前提にして、現在ジャンゼン教授夫妻が主宰する熱帯乾燥林保全基金とコスタリカ政府の認定を受けたNGOであるBioGuanacaste(理事長はS.マリン元GCA所長)が運営している。

 リンコン・レインフォレスト計画が産声を上げて2年ほどたった後、買収の終わった取得地の住居跡を増・改築してカリブ生物ステーションが誕生。このステーションはブエノス・アイレスという集落から30分ほど、いつも雲がかかって山頂を見せることのないリンコン・デ・ラ・ビエハ山を右手に眺めながら進んだ一角にある。庭に残された樹木にはびっしりとブロメリアやランが着生し、年中多湿な気候をうかがわせている。ここをベースに周辺に広がる低地熱帯雨林という生態系の動・植物のインベントリー作りが行われてきた。中でも、ジャンゼン教授夫妻がグアナカステ保全地域で長年進めてきた鱗翅目自然史データベースのさらなる情報源として、このステーションに常駐する地元出身の若者が毎日フィールドに出てはチョウやガの幼虫を食草と一緒に採集して、離れの施設で飼育しながらデータの取りまとめに専念している。定期的に教授夫妻が訪問してアドバイスやデータ収集に関してアドバイスしている。

 前方の土道はリンコンの山麓をぐるりと周遊して最後にはリベリアの町につながっている。そこまでは2時間余りの工程が残っている。カリブ生物ステーションの後、リベルター、ブランカの二つの農業入植でできた集落を過ぎ、そこから10か所あまり橋のない川(乾季は水量が少ないので普通車でも通行可能)を横切って進路を進めると、次第に植生の変化に気づく。すでに太平洋側に面した斜面に差し掛かり、着生植物を抱いた樹木がほとんどなくなり、樹高もいくらか低くなっている。そこから先はリベリアの町付近まで白墨を敷き詰めたような真っ白の火山灰の堆積層が続き、噴火後に再生したと思われる丈の低い樹木がまばらに分布する風景が右手にかなりの間視野に入ってくる。突然、ビニールごみが折からの風に飛ばされて植生に絡みついている光景に出くわした。どうやら付近の終末ゴミ処理場からの副産物のようである。それまでの穏やかな風景を堪能していただけに、この光景は興ざめだ。グアナカステ地方の観光のゲートインとして急速に発展した町の負の遺産といえる。自然観光の先進地といわれるコスタリカでも保護区の中や周辺のゴミの問題は頭痛の種で、しかもその周辺にそれなりの規模の町を控えた地域ではゴミ問題は深刻の一途をたどっている。保護区周辺に多くのリゾート施設を擁した地域では、ゴミ問題と並んで排水処理が頭痛の種になっている。事実、サンホセに比較的近い位置にあるということで、国立公園でも訪問客が多い太平洋岸のマヌエル・アントニオ国立公園は周辺や公園内の施設からの廃水処理の不備で健康に害のある大腸菌のレベルが抜き差しならないところまで来て、閉鎖の危機に直面しているという。

 リベリアの町でパンアメリカン幹線に合流し、進路を出発点のサンタ・ローサ国立公園を目指した頃には、陽もだいぶ西に傾いていた。公園内の宿舎にもどり、一休止した後、食堂に向かい早めの夕食。通常午後6時だが、この日はセマナ・サンタの聖木曜日ということで5時半には準備ができていた。この日の夕食メニューはアロース・マリスコス(日本流に言えば、海鮮炒めごはん)とトルティーリャ。ゆっくり口に掻きこんでいると、テーブルの反対側に品の良さそうな外国人夫婦が座り、早速挨拶される。スペイン語で返すと、奥さんがわざわざゆっくりと明解な言葉で話しかけてくる。実は、このご夫婦は本来ならばジャンゼン教授夫妻がこの日は朝からグアナカステ保全地域のあちらこちらに案内する予定だった在コスタリカのオランダ大使夫妻(初日に挨拶に立ち寄った時に、教授がそんなことを話していたことを思い出した)。なんでも、予定の時間に教授夫妻宅に立ち寄ったものの、入口に緊急な用事ができたからお相手できなくなったので、適当に過ごしてくださいとのメモ。そんなわけで、今日一日は公園内を周遊しては適当に過ごしていたとのこと。聞けば、10年ほど前にも同じ仕事でコスタリカに滞在されていたとか。ご夫婦そろってアウトドア志向とかで、今回はお忍び(といっても車がボルボの新型なのでかなり目立つ)で当地に休暇中とか。たまたま、隣室でお泊りだったので就寝前もお話しする機会があった。以前コスタリカにいた時の同僚が現在ニカラグアの大使を務めているということで、話題も自然にニカラグアのことに広がっていった。

 その夜、教授夫妻の緊急事態が気になったので、マリアとフェリーペの姉弟のいる居室に立ち寄った。セマナ・サンタ中で多くの公園関係者が休暇をとっているので、はたして会えるか気になったがフィールドから戻って一休止の最中だった。教授の健康のことで詳しい事情を知っているか確かめた。彼らも知らなかったようで、早速電話で教授と連絡を取った。ウィニー(教授の奥さん)曰く、教授が常用している薬の量を間違え、急に気分を悪くしたため、リベリアの病院に直行したということ。幸い、大事に至らずに済んだ、ということで我々も胸をなでおろした。スーパーマンで病気とは縁がないとばかり思っていた教授にも年齢相応の健康問題が起きていると知り、我々はただただ少しでも健康に留意してもらうことを願うだけだった。教授の頭の中にはまだやるべきことが満載されていて、病気でそれが中断されることなぞ想像すらされていないとだれもが思っている(第7回完)。












2009年6月1日月曜日

城殿さんのマナグア通信 番外編:コスタリカ見聞録6 リンコン・カカオ生物回廊のいま

 4月9日。夜明け前から宿舎の周りの森からホエザルや様々な小鳥のさえずりが起床をけしかけられるが、まだ時計は5時前。しばらく、耳を澄ませ声の主を識別しようと聞き耳を立てているうちに、窓の外がようやく白み始める。朝食サービスが始まる時間にはまだ間があるので、周辺の小径を散策してみる。別の日の夕刻に見かけたオジロジカがあちこちで見かけられる。単独でいることもあれば、鹿の子模様の消えた小鹿を伴った雌ジカもいる。しばらく前に降雨があったせいで新芽をつけた木立ちだが、まだ見通しがきく。哺乳類のような動物ならばすぐに見つかるし、警戒心があまりないせいか、じっとしていさえすればシカなどは5メートル近くで観察することも可能だ。

 食堂でガジョ・ピントと卵焼きの朝食で腹ごしらえした後、この日の外出用に果物と水を車に持ち込む。午前8時半いよいよ出発。同乗者もない気楽な一人旅。何度も足を運んだことがあるルートとはいえ、一応地図とGPSを持参(結局、途中から進路を間違え、GPSで位置確認するはめになった)。宿舎を出発してまもなく、懐かしい人物に遭遇した。前方から顔がうずくまってしまうほどの大きな荷物(大型テントを畳んだものだった)を担いでいる男性にすれ違った。すぐにお互い見覚えのある顔に気づき、車を戻して挨拶を交わした。いつもはモンテ・ベルデに住んでいるが、この時期カリフォルニア大学生物学夏季コースの講師として学生の相手を長く務めているフランク・ジョイス氏。今もモンテベルデ保護連盟の理事会のメンバーとしてあの一帯の環境保護に尽力しているはずだ。学生の頃、ジャンゼン教授の生きざまに心酔し、コスタリカに住みつき、モンテベルデとこの公園で生物学の研究を続けている。10年以上会っていないだけに本来ならばじっくりお話したいところだが、大きな荷物を担いで汗だくの彼の顔を見るととても引き留める気になれず、惜しみながら別れた。昨日まで公園内を場所を変えては課外授業を行い、この日は、学生と共にモンテベルデに移動するという。

 途中の原生林のあたりで教授夫妻が載ったランクルに追い越された。彼らは私のレンタカーを見ていないので、私が運転しているとはご存じない。公園入口の事務所前で下車してスタッフたちに挨拶しようとすると、ちょうど前方から外国人の訪問客を公園内に案内するカストロ氏と目があった。教授夫妻とは懇意な間柄で、以前サンホセや最近ではリベリアからここを訪問するときに世話になったこともある。

 公園を出て、パンアメリカン幹線を5キロほど南下して、テンピスケ側の支流テンピスキート川の橋を渡った先で左折し、内陸部に向かった。蛇行した坂道を徐々に高度を上げていくと、今来たサンタローサ国立公園と周辺地域が一望のもとに見える。反対側には向かって左からリンコン・デ・ラ・ビエハ、カカオ、オロシの山並が連なっている。この日は上空は白い雲に覆われていたが、10年ほど前からまったく雲に覆われない日々が乾季に多くなったという。それに伴い、常時多湿状態だった雨林が徐々に乾燥度を増し、生態的な機能に異変が見られているようだ。一つの例は、以前雨林地帯には姿を見かけなかった、低地のアリ類が分布を広げているという。単純に温暖化が原因と決めつけるわけにはいかないが、今まで常時雲に覆われていた一帯で雲が途切れる日数が増えるにつれ、大きな変化を受けているのは確かなようだ。このような現象は太平洋側斜面で顕在化していることから、教授たちはカリブ海側の湿潤林地帯の一部を保全地域に取り込もうと躍起だ。

 ケブラダ・グランデの市街地を過ぎ、10分ほど車を走らせると舗装道路が土道に変わる。以前と違い管理状態が改善しているのか、道の状態はよく穴ぼこは少ない。まもなく、小雨がぱらつき始めた。サンタ・ローサが乾季真っ最中で乾ききっている時も、この辺りは断続的に雨が降る。当然のことながら、植生も異なり、自然植生は熱帯雲霧林か雨林だ。伐採跡では、乳牛が放牧されている。導入されている牧草も、サンタ・ローサでは厳しい乾季を凌ぐアフリカ産の種類がかつては幅を利かせていたが、この辺りは豊富な降雨でブラッキャリアという種類が好まれている。放牧地帯のアップ・ダウンを繰り返し、時々渓流にかかった頼りない木橋をいくつか渡って上りつめた先が峠だ。右手にリンコン・デ・ラ・ビエハ、左手にはカカオ、オロシの山脈(なみ)が連なる。かつてはリンコンの麓一帯は乳牛の放牧が盛んだったようで、半分ほどが草地化されて自然林が分断されていた。
 2000年頃から当時のグアナカステ保全地域内では他の保護区とは孤立していたリンコン・デ・ラ・ビエハ国立公園と隣接するグアナカステ国立公園と連結することで、もう一つの国立公園のサンサ・ローサと合わせてこの地域の代表的な熱帯林である乾燥林、雲霧林、雨林そしてそれぞれの移行帯を加えて名実共に熱帯生態系の保護区にしようとする試みが進行していた。

 リンコン=カカオ生物回廊計画は保全地域内では最も高い約2,000メートルのリンコン火山生態系と湿潤林・乾燥林へと続く低標高の生態系と連続させることによって、すでにジャンゼン教授研究グループが明らかにしていた季節性の動物の移動(哺乳類などの大型動物の他、鳥類や鱗翅目の一部で集団移動する)先の生息地を保証しようというものであった。回廊予定地の買収のための資金はスウェーデンや米国の支援により進行していた。2003年から取得した土地の草地化した一帯(長期間家畜が放牧されることなく時間が経過していたため厚い草の絨毯(じゅうたん)となっていた)を元の湿潤林の森に再生させる作業が始まった。

 初めの3年間は“にっぽんこどものじゃんぐる”の全面的な支援をバックに保全地域やこの一帯の住民の協力を得て進められた。当初は、サンタ・ローサ国立公園で実践された熱帯乾燥林再生のための経験を元にした技術や作業が適用された。しかし、一時的に降雨量が減少する時期があるものの、周年降雨のある自然条件下に適した新たな方法を発見するために、試行錯誤が繰り返された。乾燥林では風などの無機的な要因により種子の伝播を行う樹種が多いのに対し、湿潤林を構成する樹種の多くの種子伝播が鳥類、コウモリ、哺乳動物によって担われているという。そのうえ、湿潤林の多くが苗木の成長には菌根菌(熱帯林地帯に生息する土壌共生菌)の存在が極めて重要な役割をしていることが判明した。
 また、難渋を極めたイネ科牧草の成長の阻止の良策が意外に身近なところにヒントがあった。この辺りでパルプや木材用に植林されているGmelina(メリーナ)というアフリカ原産の早生樹の大きな葉の日陰でイネ科牧草の成長がまたたくまに衰えることが明らかにされた。その後、計画地域内の広い面積にメリーナの苗木が植えられ、2年もたたないうちにあれほど繁茂していた牧草が壊滅してしまった。ここを訪れた鳥類などが休止した時に落とした糞や食べかけて捨てられた果実の種子から芽生えた在来の樹種が現在は順調に成長し、いまではバクやピューマなどの大型動物のけもの道さえできあがっている。周囲との自然植生に完全になじむまでにはまだ相当の年数が必要であろうが、生物回廊としての機能はすでに果たされつつあるようだ(第6回完)。












城殿さんのマナグア通信 番外編:コスタリカ見聞録5 サンタ・ローサ国立公園

 サンタ・ローサ国立公園の入口は、グアナカステの県都リベリア市からパンアメリカン・ハイウェー幹線を30キロほど北上した地点にある。といっても、観光マップにそのように命名されている呼称も現地の公園関係者にはあまり使用されていない。現在のコスタリカの保護区行政は、中央政府の環境エネルギー通信省(現政権からそれまでの環境エネルギー省MINAEから変更して通称MINAET)の管轄下にあるが、11に区分された保全地域(Área de Conser- vación)に実際の管理運営のための権限は移譲されている。かつての国立公園やその他のカテゴリーの保護区はその保全地域のなかで地域社会との開発を調整しながら保全政策を推進する中核的な存在となっている。地図を見ると、グアナカステ保全地域には3つの国立公園(サンタ・ローサ、グアナカステ、リンコン・デ・ラ・ビエハ)と野生生物避難区などの他のカテゴリーの保護区2か所が存在するが、現地では7つのセクターに区分して管理体制が敷かれている。

 通常国立公園というとそのままの自然が残された場所をイメージするが、サンタ・ローサ国立公園はコスタリカで最初の国立公園の一つとして発足した当時には、粗放な放牧の牧場跡地ということもあり、ごく一部を残して現生の自然は大きく改変され、二次林か外来牧草が優先する場所がほとんどを占めていた。今からはとても想像できないが、今日の公園が様々な人の努力や協力で成り立った、とこの公園がたどってきた歴史の一端を管理事務所付近にある標識が物語っている。サンタ・ローサ国立公園は、かつてはメキシコ南部から南米コロンビア北部の太平洋岸の沿岸地域に広く分布していたにもかかわらず、植民地時代以降激しく開発の波に見舞われたことが原因で、熱帯林植生としてはもっとも残存面積が少ない熱帯乾燥林を公的保護区としては最も多く残し、それをもとに壮大な再生を図っている地域である。入口のチェック・ポイントから15キロ入った様々な施設のある場所までは途中劣化した個所があるものの全面的に舗装されており、キャンプ施設などが整っていることもあって、国内では訪問客のもっとも多い国立公園の一つとなっている。

 ちょうど私が立ち寄った時期はセマナ・サンタとあって、海岸(ナランホ・ビーチ)まで足を延ばしてサーフィンに興じる若者が多く見かけられた。施設群のある場所までの沿道はやっと新芽を開き始めた乾燥林がもっぱら広がっていた。途中、道を隔てて両側が全く対照的な一角が目についた。進行方向の右側は10メートル以上にまで成長した棘の多い乾燥林の林、左側にはアフリカ原産の外来牧草が残された1ヘクタールほどの草地。近日中にこれに火が入れられるという。乾季に火入れするというのはこの一帯の放牧地でごく普通に行われた慣行で、いまでもその火が延焼して山火事の最大の原因になっている。今年は大きな山火事はグアナカステ保全地域では発生していないということであるが、まだ雨季の到来はしばらく先なので公園関係者は警戒を怠っていないという。

 かつてこの公園は全体の3分の1近くの面積が人為的な火災に会い、再生途中の乾燥林の若木が消失したという苦い経験を持っている。沿道の草地はかつての公園の姿を少しでもイメージすることと、反対側の再生中の乾燥林と比較することで、熱帯乾燥林の生態系の再生が十分可能なものであることを訪問客に意識してもらおうという狙いである。少し先にそのような内容を記した標識が立ててある。施設群までの沿道のあちこちにそのような簡単な説明文の標識が掲げてある。

 沿道のほとんどの林は10~15メートルほどの樹高の最近休眠からさめやっと新芽をつけ始めた状態だが、途中一か所だけ鬱蒼とした20メートルを超す樹木が密集した地域がある。この一帯が公園発足当時に残されていた唯一の乾燥林の原生林地域である。乾燥林とは言っても、遷移途上の植生と異なり、乾季の最も厳しい時期にもこの一帯の樹木は青々と繁っている。乾季が本格的となる2月~4月は日中の気温が40度近くになることもあるが、この林の一帯は他より10度以上も気温が低く、いつも23度くらいの涼しい状態が保たれているという。

 車から降りてその爽やかな空気を実感していると、上方からザワザワと枝葉がすれる音がした。見上げると、ホエザルの家族の群れが移動している。双眼鏡で眺めると、先頭を行くオスの大人サルが周りを警戒しながら前進し、その後方から子ザルを抱いた雌ザルや若いサルたちが続いていた。雄ザルが私の姿を気にしたのか、おしっこで威嚇してきた。別の方向を見やると別の種類のサル、ここでカリブランコ(白い顔をしたオマキザルの一種)と呼ばれている一群が移動中だった。ホエザルはもっぱら木の葉っぱ、それも若い癖のない葉を好んで食するのに対し、カリブランコは昆虫や小動物も食べる雑食で、少々気が荒い。あまり近づくとヒステリックなくらいの甲高い声で威嚇する。こんな光景に遭遇すると、つい時間が経つのをつい忘れてしまう。

 腕時計を見やるとすでに午後3時半を過ぎている。公園内の旧知には入口の事務所からすでに連絡が入っていることを思い出し、その場を立ち去り、ジャンゼン教授夫妻の滞在先に直行した。分岐点で右折すると沿道の左右に建物が目に入り始める。教授夫妻の住居はそこを左入った先にある。家の前にはトヨタの通称サファリと呼ばれている後部の長いタイプの車が2台駐車してあった。閉まっているのを見たことのない玄関前で来訪の挨拶をすると中からお二人の声が返ってきた。くだんの教授は自宅にいるときはいつも半裸でマックのキーボードを叩いているか3年前からカナダの大学と全米科学財団からの資金援助で始めたBioLepというプロジェクトの成果の一部である鱗翅目(ガやチョウ)の展翅にかかりっきりだ。公園内の研究棟の向かいに2007年に建設された建物がそのプロジェクトの拠点になっているが、あいにくセマナ・サンタ休暇でスタッフが出払っていたために中に入ってこれまでの成果品を閲覧することができなかった。

 窓越しにしか見られなかった収納箱にはこの2年間に収集されたグアナカステ保全地域産のチョウやガの標本が所蔵されているという。すべての標本はその体の一部(脚部や腹部のことが多い)がDNA解析のためカナダや他の研究グループの元に送られ、生命のバーコードとしてデータ・ベースに収められているという。教授からはその後もこの面の研究の機会から遠ざかっていた私には理解困難な話をその後も拝聴したが、消化不良のままお暇(いとま)した。(第5回完)。