2009年5月7日木曜日

城殿さんのマナグア通信 番外編:コスタリカ見聞録4 針路をグアナカステへ

 眼下にサンホセの町を見下ろすサント・ドミンゴ郊外にあるホテル・ブーゲンビリアを拠点に、周辺地域をその時の思いつきスケジュールで4日間過ごした後、4月8日(木)に最後の訪問地グアナカステ地方への移動の日を迎えた。
 まずはここでの日課の定番となった朝の散歩、その後の朝食を済ました後、顔なじみのホテルの関係者一人ひとりに別れの挨拶。といってもつかの間の別れだと皆承知しているので、いたってクール。午後12時10分発の国内便ということで、まずは8日間つつがなく借りた時と同じ状態のレンタカーを返却しにサンホセ市内のオフィスへ。それからミニバスでサンタ・マリア国際空港の端にある倉庫のような建物に控え目に看板を降ろした国内便の発着ターミナルまで送ってもらう。国内便のチェックインは出発時間の30分前までとあるが、便により収容人数が極めて限られているので、早めに済ました。チェックイン時には荷物と一緒に自分の体重も計測。荷物も極力持ちこみにするように。でないと、機種によっては手荷物が積み残しの憂き目に遭うことも。
 この日の便は単発のセスナ機で乗客定員が12名の小さめ。幸いこの日の乗客は6名だったので、積み残し荷物のトラブルはなかったようだ。チェックインの後、ほとんど検査らしくない荷物検査をして、待合室に待機。時間帯のせいかひっきりなしに国内各地への便の乗り降りがあり、しかも出発5分前位になって突然アナウンスがあるだけ。同じフライトの乗客が直前になっても数が合わず、係員があちこち探し回る。しばらしくして騒ぎの元が自分であるとは全く示さないそぶりで本人が現れる。パイロットがエンジンをスィッチ・オン。左翼後部座席に陣取り、腰と胸の両方を固定するベルトを締める。
 セスナ機は、小回りが利くので瞬く間に離陸態勢。水平飛行になっても高度がせいぜい1,000メートル前後なので、天気が良ければ眼下の眺めも手に取るように見える。同時に、ちょっとした気流の変化にも機体が反応するので、乗り物酔いに弱い人にはお薦めできない。幸い、この日はフライトにはもってこいの好天候で、50分ほどの短い航行を満喫できた。離陸後、大きく旋回し進路を北西にとると、その後は目的地のリベリア付近まで直進のコース。
 離陸後しばらくコーヒー畑を見下ろしながら進むと、やがて観葉植物を栽培する一帯(たぶん、パルメーラ辺り)を過ぎる。その後、左手には緑と赤茶けた部分がまだら模様になった乾季の太平洋岸特有の光景が目に入ってくる。目を凝らすと最後方にはニコヤ湾、その左端に湾にせり出した砂州に広がるプンタレーナスの町がかすかに判別される。右手の窓からはモンテベルデの山並が人造湖アレナル湖まで伸びている。この辺りはさすがに乾季も白い厚い雲に覆われている。

 徐々に左手のニコヤ湾がテンピスケ川の河口に姿を変えるあたりから、サトウキビ畑が一面に広がってくる。この一帯は、テンピスケ川が上流から運んでくる土壌が堆積し、古くからサトウキビの栽培地として知られる。以前は砂糖生産がもっぱらだったのが、最近ではバイオ燃料で脚光を浴びるエタノールの生産のために作付けされるサトウキビが急増しているという。上空からは灌漑の恩恵で生育ステージがまちまちのサトウキビ畑が幾何学模様を織りなしていた。
 この辺りはコスタリカでも指折りのサトウキビ栽培地であると同時に、湿地生態系の保全地域として有名なパロ・ベルデ国立公園やローマ・バルブダル生物保護区などの保護がある。飛行ルートはちょうど後者の上空付近を通過する。この保護区は熱帯乾燥林と洞窟群で知られている。保護区が視界に入ると同時に辺り一面黄色の点が散りばめられていた。コルテサ・アマリーリャと呼ばれるマメ科の樹木だ。この樹種はサンホセの町で満開だった薄ピンク色の花をつけるロブレと同じTabebuia属の仲間で中南米各地で様々な名前で呼ばれている。ブラジルではイペ、パラグアイではラパーチョと呼ばれ、いずれも国の木か花である。ニカラグアでも同じ種類を見かけたが、もっぱら農村部でのことが多かった。遠目には樹木全体が鮮やかな黄色に包まれているので、一目瞭然である。そんな目立った存在が辺り一面にある光景は初めて目にした。

 上空から見た一帯には以前コスタリカに滞在していた頃には良く訪れたところだが、陸上からは視野に入ってくる景観は限られており、今回のように上空から遮るものなく一望のもとに見渡すことのできる位置から眺めたのは初めてである。カメラでは黄色い点の集合にしか見えないが、目いっぱい望遠にして撮ると一本一本がコルテサ・アマリーリャである。何とも壮観である。そんな光景に感動していると、やがてセスナ機は着陸態勢に入り、いっきに滑走路に滑り込んだ。
 2007年8月?日に米国ヒューストンから直行便で当地に乗り込んで以来の訪問だった。グアナカステ県の都リベリア市の中心から20キロ少々の距離にあるダニエル・オドゥーベル国際空港は、いまや米国本土やカナダの各地から直行便が乗り入れる国際空港である。国際空港に格上げになったのはほんの10年ほど前のこと、それ以前はニコヤ半島のリゾート地への地方の拠点にすぎなかった。コスタリカの観光立国としての知名度が高まるにつれて、国外からの観光客も急増し、いまや空港ばかりかその周辺には名だたる有名ホテルが建設中で、リベリア市街地も牧畜集散地から国内屈指の観光拠点の一つに大きく変貌を遂げている。金融危機がコスタリカにも及んでいるということであったが、この町を見る限りそんな暗い影は微塵も感じられなかった。

 空港ターミナルの直前でエンジンを止めたセスナ機のステップを慎重に降り、いつもなら2月くらいに勢いを弱めてしまう北東からの卓越風で押し倒されないように体を前のめりにしてなんとか建物の中に入った。出口には約束通りレンタカーの社員が出迎え、2キロほど離れたオフィスへ運んでくれた。ここでは、サンホセのレンタカー会社で味わったようなトラブルもなく(前もってそのようなことがあったことを先方に伝えておいてくれたおかげで)、すべて手続きを完了。今回は私がマナグアで乗りなれている車種と同じダイハツ・テリオスを調達。リベリア市内の馴染みのレストランで腹ごしらえした後、北西40キロのサンタ・ローサ国立公園を目指した(第4回完)。













城殿さんのマナグア通信 番外編:コスタリカ見聞録3 タパンティ国立公園

 4月6日(火)の朝7時半すぎにホテルを出発、この日は南西におよそ60キロ余り離れたタパンティ国立公園を目指した。サンホセ市内の渋滞に巻き込まれ、旧都カルタゴ方面とはおよそ違う方角に向かってしまった。なんとか過去の記憶を頼りにカルタゴ市への高速道路への合流点を見つけた。
 セマナ・サンタには多勢の人たちが訪れる大寺院はすっかり化粧直しを終え、鮮やかな黄色と白のトーンに輝いていた。この先で道路はいつのまにか幅員が拡張されて車の流れが一気に改善されたお陰で隣のパライソの町まで10分とかからなかった。しかし、パライソの中心部は以前と同じ一方通行であたりかまわない駐車のために混雑して、抜け出すのに難渋した。オロシ方面への2車線の蛇行の多い下り道を周囲の景色を見やりながら進めること15分ほどでオロシの市街地に突入。

 町の中心にはスペイン植民地時代の象徴の教会が異彩を放っていた。この町を包み込むように広がるオロシ渓谷は古くからアラビカ・コーヒーの栽培地で知られ、現在もサン・コーヒーと呼ばれる丈が低く被陰樹(コーヒーはもともと薄日の差すような条件で生育する永年作物であるが、品種改良により、直射日光を受けても生育できる種類が作られた)を必要としない品種が主流を占めている。しかし、コスタリカではかなり以前からコーヒーの単一栽培が熱帯林に生息する生物の生息場所の分断化や細分化を助長しているという批判から、徐々にではあるがコーヒー畑のあちこちにマメ科などの樹種を導入して、いくらかでも生息地の多様化を図って野鳥が生息したり移動しやすいように工夫する生産者が現れている。オロシ渓谷にもこのような生産者が増えているようで、沿道の多くのコーヒー畑は以前はコーヒー一色だった景観が他の樹種と混ざり野鳥たちに立体的な生息環境を提供している。

 オロシの市街地のはずれに水力発電施設がある。10年以上も前に月に最低1回は足を運んでいた頃は、ここで舗装が途切れて、あとは土埃を蹴立てて進む土道だったが、今はその先しばらくは舗装され道幅も倍になっていた。未舗装になっても以前より管理状態が良いと見えて車の速度を落とすことなく通行できた。国立公園入口が近くなった目印のオロシ川にかかるつり橋は、現在改修中。やっと一車線の道幅の橋に慎重な運転をしながらも、花崗岩質の河原石の中央を流れる清浄な水面を見やる。橋を渡り切ると、しばらく登り加減の道の先に公園入口の管理棟が目に入る。10年前とは一変するほど施設が整備されている。もちろん、そこで働くスタッフの中に見覚えのある顔はなかった。セマーナ・サンタ前後は水浴びに訪れる客が多いと見え、学生風のボランティアの姿も目立った。外国人は入場料が10ドルもしくは相当分のコロン。入場料を払いながら職員に話しかけるが10年も前のことなど知る由もない。

 かつて新設前の管理棟に続いて“生物多様性オフィス”表示された小屋があった。ここで、パラタクソノモとよばれた生物の分類技術者2人が居住していた。彼らは四六時中公園内のあちこちを巡回しながら、植物や昆虫類の採集をしたり、時には飼育などして分類や生態の情報をかき集めていた。成果品である採集品は1月に一度サント・ドミンゴ市にあるINBioに持ち込み、ここのキュレーターたちの指導を受けながら次の作業に廻していた。当時のコスタリカには50人を超すパラタクソノモたちが国内各地の保護区で同様な活動をするために配置されていた。ほとんどは地元出身の人間で年齢・性別・前歴も多様な人たちだった。タパンティで活動していた2人は一人は男性で元農民、もう一人は若い女性だった。私がこの場所に足しげく運んだきっかけになったのはこの元農夫がタパンティの山中に生息するコガネムシ(ほんとに黄金に輝く虫で光の角度で微妙に色が変化する)の幼虫を見つけては飼育する能力にたけており、その仕事ぶりに強い興味を覚えたからだ。
 現在、公園内には当時の小径を元に遊歩道になっている3つのコースが設けられているが、彼と一緒に回ったのは最も健脚向きの山手の鬱蒼とした湿潤林に覆われた一帯。ここはくだんのコガネムシが好む倒木が朽ちてできた有機質の土壌が豊富だ。健脚の彼の後を遅れないようにと喘ぐように上った先でコガネムシの幼虫を採集し、ついでに花の写真を撮るというのが、彼との行動でのパターンだった。持ち帰ったコガネムシの幼虫が数ヶ月後あるいは半年以上もして羽化して地上に出現する瞬間を写真に収めるスリルも味わった。
 そんなことを思い出してはみたものの、今は私の記憶の中だけに納まっている。今回は健脚向きのコースを除く渓流に面した2つのコースを回ってみた。公園管理室から4キロ地点までは訪問客に解放され、沿道には様々な案内の標識が立てられている。最初に訪れた山側の展望台は東屋風で反対側の山並が一望に見渡せる。びっくりしたのは、上り口付近にあるトイレは水洗でおまけにトイレットペーパーまで備えてあった。
 2キロ近く戻ってから、渓流まで下りるLa Pavaコースを歩いてみた。途中で滝がまじかに見える河原までのコースと分かれているが、いづれも着生植物にびっしり覆われた湿潤林の中を探勝するコースである。終着点の渓流は上高地の梓川を思わせる透明度の高い清流である。下流のオロペンドラ・コースには水浴びに訪れる客のために、テーブルや更衣室兼トイレが設けられ、遊泳地点まで指定されているが、ここは河原石が多く泳ぐのに適当な水面がないので、もっぱら川遊び。途中で出会った子供連れの家族もそのグループだった。

 タパンティ国立公園は熱帯季節林と雨林が混交するため多様な生物が生息し、なかでも野鳥が豊富なことからバードウォッチングのホット・スポットの一つ。遊歩道の多くはその地域に生息する野鳥の名がついている。野鳥ばかりでなく、この国立公園にはバク、ピューマ、ジャガー、それにサル類も生息しているが、この日出逢ったのは子連れのハナグマ(現地ではコアッティ)家族。遊歩道での散歩を終えて、引き返そうとしてゆっくり車を走らせていると、道路脇に徘徊している黒っぽい一団が目に入った。そのまま徐行して、近くで停車。
 車の中から覗いていると、2匹のまだ幼さを残す子供がためらいもなく目前まで迫ってきた。時々地面に鼻をぐいぐい押し当てているところを見ると、たぶん草むらに潜む虫でも追い出しているのであろう。ハナグマ一家の振る舞いの様子を公園管理室のレンジャーに別れの挨拶の代りに報告したあと、腹ごしらえのためにオロシ川下流の川沿いのレストラン・ロス・パルモスへ直行。
 
 午後1時近くなのに客はまばら。ここのお薦めメニューは魚を丸ごと油で揚げたもの。大きさにより値段も違う。普通材料はスズキやタイの海魚のほかテラピアや付近で養殖もされているニジマス。このメニューに臨む時は必ず醤油を持参したものだ。この日はニジマスの丸揚げを注文。十分時間をかけてくれと頼んだにもかかわらず、出てきた代物は表面はからっと揚がっているが、中はまだ生のまま。どうも冷凍物を使ったようだ。差し戻して再び調理してもらうと、今度は主骨も噛み砕けるくらいカラッと揚がって出てきた。醤油持参なら味も引き立ったかもしれないが、出鼻を挫かれたことも加わって感動も今一つ。しかし、なんとか腹ごしらえが終わったところで、再び来た道と同じルートを引き返す。

 パライソとカルタゴの町のほぼ中間に野生ランの収集と遺伝資源保存で知られたコスタリカ大学付属のランカスター植物園がある。元々、英国人のランカスター氏がコスタリカ産の野生ランの収集のために始めた私設の植物園だったが、コスタリカ大学が引き取り現在では野生ランの遺伝資源の保存やその一部を利用して販売などを行っている。もちろん、観光コースとしても有名で、外国人の観光客の多くはランの観賞を目的に訪問する。私も以前タパンティ国立公園に出向いた時にはほとんど毎回この植物園に立ち寄り、ブロメリアや1年を通じて花をつけているラン類を主な被写体としたものだ。
 ところがこの日はJICAのシニアボランティアで日本庭園の造成に活動中の本職の庭師の方にお会いするのが目的。私にはなんでランカスター植物園に日本庭園が、という素朴な疑問を抱えながらの訪問であるが、とにかく前日にホテル・ブーゲンビリアの石庭の指導に来られていた方からの申し出なので省くわけにはいかない。指導中の某氏は日本でも指折りの日本庭園の専門家であるらしく、植物園内の一角にまさしく岡山市の偕楽園をほうふつさせる日本庭園が出現していた。この日初めて池には水が入れられ、周辺の竹林と合わさって日本庭園の趣を一層引き立たせていた。一番奥にはイラス火山を背景に眺められる石庭付きの茶室まで建造中で、びっくり仰天。
 完成後、施設は環境教育用に利用されるという。指導に当たっておられる師匠の構想は広がるばかりであるが、それにしてもランカスター植物園になんで日本庭園?という基本的な疑問がなかなかぬぐい切れなかった。親善が目的ならすでに立派な日本庭園がサンホセ近郊にあり、そのままそちらに移した方がさらに充実した庭園になるであろうに、と私なりに自問した。何にもまして、多くの観光客は、1年を通して楽しめるコスタリカ産野生ランの観賞を目的にここを訪れるのである。日本人としては複雑な心境になった。なんでも5月には盛大に完成式が行われるという。(第三回完)。











モンテヴェルデ便り 2009年4月

<オープン・ハウス>
 さる3月7日(土)にプンタレーナス県モンテ・ベルデの子供たちの永遠の森保護区(Reserva Bosque Eterno de los Ninos, 略してBEN) の一角にあるバホ・デル・ティグレのビジターセンターでオープン・ハウスが開かれました。この活動のねらいは、環境教育とコミュニティーの人たちにBENをもっとよく知ってもらうことでした。当日には推定で300人ほどの参加者があり、その60%ちかくが子供たちでした。この日のために、会場ではほかにもいくつかのイベントが計画されました。集団遊び、書きものの紹介、エコな塗り絵、ガイドと一緒の散策などです。

<セマナ・サンタ(イースター)の活動>
 先日のセマナ・サンタ(4月の第2週がそうでした。カトリックの国では木曜日と金曜日は通常祝日です。城殿注)に、保護区を取り巻く農村部や行楽地を訪れる訪問客用にエコなメッセージの印刷物や サン・カルロスやサン・ラモン一帯を車で移動する人達のためにパンフレットを準備しました。野生生物保護のことをもっとよく知ってもらい、森の産物(野生生物)を買ったり、採ったりすることのないようにするためです。この活動は、野生生物に関する不法な活動を規制するために設けられた期間に合わせて行われました。多くの個人や機関が一緒になってこれらの活動をしました。おもな協力機関は、MINAET(環境エネルギー通信省のマヌエル・アルベルト・ブレネス保護区)、サン・ラモンやサン・カルロス地域の警察(保安省)、サン・ラモンのASOVIRENAS(環境NGO?)、交通取締官(公共事業省MOPTラモン地区)でした。

<自然保護にかかわって23年>
以下にMCLの活動の節目になる出来事が列記されていますが、一部の固有名詞の日本語呼称に自信ありませんので、カットしました。

MONTEVERDE CONSERVATION LEAGUE AND CHILDREN´S ETERNAL RAINFOREST
Tels: (506) 2645 5003, 2645 5200. Fax: (506) 2645 5104
E-mail: gisrodriguez@acmcr.org Sitio de web: www.acmcr.org
Apartado Postal: 124 - 5655 Monte Verde, Puntarenas; COSTA RICA

(和訳:城殿博)