2009年6月16日火曜日

城殿さんのマナグア通信 番外編:コスタリカ見聞録8 旅も終わりに(完結編)

 コスタリカ滞在も残り2日となった4月10日は、セマナ・サンタ(聖週間)最大の山場であるサント・ビエルネス(聖金曜日)。この日は、前日の保全地域の周遊で行きそびれた、通称カリとペトローナのサンタ・セシリアの自宅を訪問。サンタ・ローサ国立公園内の食堂で朝食をとった後宿舎に戻り、愛用のダイハツ・テリオスにこの日もお世話になる。

 公園入口を左折し、パンアメリカン・ハイウェーを北上。途中給油のためサンタ・セシリアへの分岐点を過ぎた数キロ先にあるラ・クルスの町に立ち寄る。セマナ・サンタ期間中でも利用客の多いガソリン・スタンドやスーパーは営業中だった。この町からニカラグア国境までは15キロほど。眼と鼻の先に国境の町ペニャ・ブランカがある。スーパーでお土産代りにお菓子等を購入し、来た道を分岐点まで引き返す。分岐点には麻薬などのご禁制品の検査のため、国家警察が睨みをきかせている。ここからサンタ・セシリアの町まではやはり15キロほど。道中、オロシ火山を右手に眺めながらその山麓を取り巻くように進む。グアナカステ保全地域(GCA)の境界を過ぎると一面オレンジ地帯が広がる。この一帯はコスタリカでも有数のオレンジの栽培が盛んな地域だが、その歴史は浅い。15年ほど前までは粗放な放牧地だった場所だ。1970年代は中南米のあちこちでアメリカ向けにハンバーグ用の脂肪分の多い熱帯育ちの肉牛の生産が投資目的で盛んに行われた。現在GCAになっている一部でもそのために牧場造成が進んだが、厳しい乾季と土壌の劣化で売りに出される土地が続出した。GCAの土地の多くがそのような部類の土地を買い上げられたものである。現在立派に成長したオレンジ農園も外国資本が買い取り後に生まれたものだ。その代表格がGCAに隣接するデル・オロ社。

 デル・オロ社とGCAは浅からぬ縁がある。デル・オロ社がこの地に進出してオレンジ・プランテーションに着手した際、ジャンゼン教授やGCA関係者は病害虫防除の手段として農薬を散布することなくオレンジ生産を可能にするいくつかの提案をした。それを実行する前に母校のペンシルバニア大学の大学院生たちにこの地域のオレンジ栽培での病害虫に天敵がどれくらい寄与しているか、もし農薬を使用した場合のコストと周辺への環境影響をおおざっぱではあるが定量的に分析したデータをとらせていた。教授たちはこれらのデータを持ち寄って会社幹部と交渉を重ねた。当時はまだエコ製品は珍しかったが、ここで生産されるオレンジ・ジュースは環境意識が高まりつつあったヨーロッパや米国の市場向けということもあり、保護区の周辺で無農薬で栽培されたオレンジ・ジュースは市場での信認(いち早く国際的なエコ製品の認証も)を受けた。また、ジュース加工場が栽培地の一角に建造されると、ジュースの絞りカスの処理を保全地域内の自然再生が土壌の劣化で困難な個所で行う見返り(廃棄物の分解を保護区内に生息するハエの一種の力を借りて行い、保護区内の劣化した土地は肥沃度を回復し、急速に自然再生が始まった)として隣接地(当時の地価で47万ドル相当)を保全地域がもらい受けるという1種の環境サービスの新たな事例が注目を浴びた(世銀の資料などにも登場した)。しかし、この試みは当時の環境・エネルギー大臣(判事出身)の不興を買い、ACGの担当者と責任者が法廷に立たされることになった(国立公園法では、公園内へのゴミ投棄は罪である。事の舞台になったグアナカステ国立公園は80年代終わりに保護区の将来を模索する新たなプロジェクトとして発足し、今日の保護区行政のヒントを提供していたが、法制度はその動きに同調していなかった。このずれが判事出身の大臣の見解を変えるには至らなかったのである)。しかし、次の環境大臣(コスタリカの環境法の第一人者のひとり、私がインビオにいた時の法律顧問)になって事態は大きく変わり、関係者は保護区内の生態系の再生の一つの手法(周辺地域との関係を考慮しながら)を開発したとして無罪放免になった。
 現在、デル・オロ社は先の事例を参考にして廃棄物の処理施設を敷地内に設け、そこから生産されたコンポストは自社の圃場や販売品として利用している。

 サンタ・セシリアの市街地の舗装が切れる地点でカリ(いつもそう呼んでいるので、いまだに正式なフルネームを知らない)が出迎えてくれていた。自宅に行く前に、日本大使館の草の根無償協力の支援で建設中の多目的ホール(公民館といった方がわかりやすい)に案内してくれた。私が知っている彼はGCA内の最も雨の多い場所に設けられた生物ステーション(Pitilla)で動植物の台帳作りに余念がない生物学者もたじたじの博物者といった感じの人物。しかし、彼は実に多彩な顔を持っている。未だに法衣をまとった姿を見たことはないがれっきとした牧師でもある。そんなこともあり、町や町民の将来についても実に熱心に取り組み、人望も厚い。公民館の建設は彼が住民の福利厚生や子供たちの社会教育のための場として考えているようだ。彼の頭にはすでにその絵姿が描かれているようだ。この日はセマナ・サンタでも重要な意味を持つ日であることはすでに触れた。途中で、町中を練り歩くカトリックの聖職者や信者の一群にであった。一行が練り歩く人家は決まっており、カリの家は最後に聖職者が立ち寄る最後の家になっていた。

 カリのこの家を訪ねるのは2007年8月にサンタ・ローサ国立公園が国立公園の日のホスト会場になった時に招待された時の合間を縫って、ロヘルと一緒にGCA内を周遊した際に立ち寄って以来だ。その時はまだ建設中で、あちこちに資材が散らかっていたが、今回はすっかり完成し、壁にも塗装が施してあった。いつもはPitillaに出かけ森の中に分け入ってはチョウやガの幼虫やその食草の採集に忙しくしているが、この日はセマナ・サンタの特別の日とあって、一休み。一家全員や親戚たち、それに先ほど見かけた行列の聖職者たちが集まるという。一足先に訪れた私にペトローナが食事の用意をしていた。すっかりごちそうになった後、カリが愛用のブックマックに収納されたガやチョウの幼虫の数々の写真を披露してくれた。以前彼らと行動を共にしていた時はニコンの一眼レフで接写したスライドをスキャナーにかけ、やっとコンピュータに画像を収納していたことを考えると、デジカメの登場で彼らの仕事が飛躍的に楽になり、撮影の失敗もなく接写も簡単になった。技術の進歩は生物多様性の保全の現場にはますます心強いツールになっている。来客たちの対応で忙しくなった彼らにお暇の挨拶をして、サンタ・ローサへの帰途に就いた。

 4月11日(土)。いよいよセンチメンタル・ジャーニーも最終日を迎えた。朝食で腹ごしらえした後、教授夫妻にお別れの挨拶をして、いったんリベリアの空港近くにあるレンタカー会社に向かった。国境の町で乗り捨ても可能だが100ドル余分にかかる、社員と一緒なら同じ場所まで50ドルですむという。同じ車で社員が運転し、国境の町ペニャ・ブランカのコスタリカの税関事務所前で降りた。出国印を押してもらい、200メートルほど先のニカラグア側の税関まで歩く。反対側から大きな荷物と一緒にたくさんの人たちが歩いている。たぶん、故郷でのセマナ・サンタの休暇を終えてコスタリカに戻る出稼ぎかコスタリカに在住しているニカラグアの人たちだろう。私は逆コースなので、税関で待たされる時間は大したことではなかったが、ニカラグア側からくる人たちは税関手続きで相当待たされているようだ。入国手続きが終わったところで、マナグアから私の車で迎えに来ているはずの運転手とアシスタントに電話を入れた。予定通り指定の場所で待機中という。これまでにニカラグア側のペニャ・ブランカには近くに所用のついでに何度も足を運んでいるので、すれ違いということにはならなかった。久しぶりに愛用のダイハツ・テリオスに乗り込み、2時間余りのマナグアへの行程を何のトラブルなしに終えることができた。マナグア郊外の自宅には午後3時前に到着。11日間のコスタリカへの旅は完結した(完)。









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