城殿さんのマナグア通信 番外編:コスタリカ見聞録7 気の向くままに
リンコン=カカオ生物回廊の充実ぶりに安心し、サン・ヘラルド生物センターでセマナ・サンタ限りの手作りクッキーをほおばった後も、気ままなドライブは続く。すぐ先のドス・リオスの市街地をすり抜け、リンコン・デ・ラ・ビエハ火山の麓を一巡りするコースを進む。エル・ガビラン、ブエノス・アイレスの農業入植民が開いた小さな集落が散発的に現れる。市街地以外では自家消費用に住居の周りにはイモ類や果樹類が植栽され、その周辺は放牧用に切り開かれている。時々、高級サラダの食材に出されるパルミートというヤシ類が一面に植えられた場所もある。しかし後継者不足で農業に見切りを切って売りに出されているところも数多くあるという。
10年近く前から熱帯乾燥林帯や湿潤林帯の乾燥化(温暖化の影響?)の進行を先取りしてグアナカステ保全地域(前回の見聞録では触れなかったが、同保全地域は1999年にコスタリカでは3番目のユネスコ世界自然遺産に登録されている)内での低地の湿潤地帯の拡充を狙って、リンコン・デ・ラ・ビエハ山麓地帯の自然林の多く残った地域の土地所有者と協議を重ね買い取り交渉を行ってきた(現在も続けている)。リンコン・レインフォレストといわれるプロジェクトで当初計画した対象地域の土地の大部分の買収を終えている。この区域は、将来グアナカステ保全地域への併合を前提にして、現在ジャンゼン教授夫妻が主宰する熱帯乾燥林保全基金とコスタリカ政府の認定を受けたNGOであるBioGuanacaste(理事長はS.マリン元GCA所長)が運営している。
リンコン・レインフォレスト計画が産声を上げて2年ほどたった後、買収の終わった取得地の住居跡を増・改築してカリブ生物ステーションが誕生。このステーションはブエノス・アイレスという集落から30分ほど、いつも雲がかかって山頂を見せることのないリンコン・デ・ラ・ビエハ山を右手に眺めながら進んだ一角にある。庭に残された樹木にはびっしりとブロメリアやランが着生し、年中多湿な気候をうかがわせている。ここをベースに周辺に広がる低地熱帯雨林という生態系の動・植物のインベントリー作りが行われてきた。中でも、ジャンゼン教授夫妻がグアナカステ保全地域で長年進めてきた鱗翅目自然史データベースのさらなる情報源として、このステーションに常駐する地元出身の若者が毎日フィールドに出てはチョウやガの幼虫を食草と一緒に採集して、離れの施設で飼育しながらデータの取りまとめに専念している。定期的に教授夫妻が訪問してアドバイスやデータ収集に関してアドバイスしている。
前方の土道はリンコンの山麓をぐるりと周遊して最後にはリベリアの町につながっている。そこまでは2時間余りの工程が残っている。カリブ生物ステーションの後、リベルター、ブランカの二つの農業入植でできた集落を過ぎ、そこから10か所あまり橋のない川(乾季は水量が少ないので普通車でも通行可能)を横切って進路を進めると、次第に植生の変化に気づく。すでに太平洋側に面した斜面に差し掛かり、着生植物を抱いた樹木がほとんどなくなり、樹高もいくらか低くなっている。そこから先はリベリアの町付近まで白墨を敷き詰めたような真っ白の火山灰の堆積層が続き、噴火後に再生したと思われる丈の低い樹木がまばらに分布する風景が右手にかなりの間視野に入ってくる。突然、ビニールごみが折からの風に飛ばされて植生に絡みついている光景に出くわした。どうやら付近の終末ゴミ処理場からの副産物のようである。それまでの穏やかな風景を堪能していただけに、この光景は興ざめだ。グアナカステ地方の観光のゲートインとして急速に発展した町の負の遺産といえる。自然観光の先進地といわれるコスタリカでも保護区の中や周辺のゴミの問題は頭痛の種で、しかもその周辺にそれなりの規模の町を控えた地域ではゴミ問題は深刻の一途をたどっている。保護区周辺に多くのリゾート施設を擁した地域では、ゴミ問題と並んで排水処理が頭痛の種になっている。事実、サンホセに比較的近い位置にあるということで、国立公園でも訪問客が多い太平洋岸のマヌエル・アントニオ国立公園は周辺や公園内の施設からの廃水処理の不備で健康に害のある大腸菌のレベルが抜き差しならないところまで来て、閉鎖の危機に直面しているという。
リベリアの町でパンアメリカン幹線に合流し、進路を出発点のサンタ・ローサ国立公園を目指した頃には、陽もだいぶ西に傾いていた。公園内の宿舎にもどり、一休止した後、食堂に向かい早めの夕食。通常午後6時だが、この日はセマナ・サンタの聖木曜日ということで5時半には準備ができていた。この日の夕食メニューはアロース・マリスコス(日本流に言えば、海鮮炒めごはん)とトルティーリャ。ゆっくり口に掻きこんでいると、テーブルの反対側に品の良さそうな外国人夫婦が座り、早速挨拶される。スペイン語で返すと、奥さんがわざわざゆっくりと明解な言葉で話しかけてくる。実は、このご夫婦は本来ならばジャンゼン教授夫妻がこの日は朝からグアナカステ保全地域のあちらこちらに案内する予定だった在コスタリカのオランダ大使夫妻(初日に挨拶に立ち寄った時に、教授がそんなことを話していたことを思い出した)。なんでも、予定の時間に教授夫妻宅に立ち寄ったものの、入口に緊急な用事ができたからお相手できなくなったので、適当に過ごしてくださいとのメモ。そんなわけで、今日一日は公園内を周遊しては適当に過ごしていたとのこと。聞けば、10年ほど前にも同じ仕事でコスタリカに滞在されていたとか。ご夫婦そろってアウトドア志向とかで、今回はお忍び(といっても車がボルボの新型なのでかなり目立つ)で当地に休暇中とか。たまたま、隣室でお泊りだったので就寝前もお話しする機会があった。以前コスタリカにいた時の同僚が現在ニカラグアの大使を務めているということで、話題も自然にニカラグアのことに広がっていった。
その夜、教授夫妻の緊急事態が気になったので、マリアとフェリーペの姉弟のいる居室に立ち寄った。セマナ・サンタ中で多くの公園関係者が休暇をとっているので、はたして会えるか気になったがフィールドから戻って一休止の最中だった。教授の健康のことで詳しい事情を知っているか確かめた。彼らも知らなかったようで、早速電話で教授と連絡を取った。ウィニー(教授の奥さん)曰く、教授が常用している薬の量を間違え、急に気分を悪くしたため、リベリアの病院に直行したということ。幸い、大事に至らずに済んだ、ということで我々も胸をなでおろした。スーパーマンで病気とは縁がないとばかり思っていた教授にも年齢相応の健康問題が起きていると知り、我々はただただ少しでも健康に留意してもらうことを願うだけだった。教授の頭の中にはまだやるべきことが満載されていて、病気でそれが中断されることなぞ想像すらされていないとだれもが思っている(第7回完)。











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