2009年6月1日月曜日

城殿さんのマナグア通信 番外編:コスタリカ見聞録6 リンコン・カカオ生物回廊のいま

 4月9日。夜明け前から宿舎の周りの森からホエザルや様々な小鳥のさえずりが起床をけしかけられるが、まだ時計は5時前。しばらく、耳を澄ませ声の主を識別しようと聞き耳を立てているうちに、窓の外がようやく白み始める。朝食サービスが始まる時間にはまだ間があるので、周辺の小径を散策してみる。別の日の夕刻に見かけたオジロジカがあちこちで見かけられる。単独でいることもあれば、鹿の子模様の消えた小鹿を伴った雌ジカもいる。しばらく前に降雨があったせいで新芽をつけた木立ちだが、まだ見通しがきく。哺乳類のような動物ならばすぐに見つかるし、警戒心があまりないせいか、じっとしていさえすればシカなどは5メートル近くで観察することも可能だ。

 食堂でガジョ・ピントと卵焼きの朝食で腹ごしらえした後、この日の外出用に果物と水を車に持ち込む。午前8時半いよいよ出発。同乗者もない気楽な一人旅。何度も足を運んだことがあるルートとはいえ、一応地図とGPSを持参(結局、途中から進路を間違え、GPSで位置確認するはめになった)。宿舎を出発してまもなく、懐かしい人物に遭遇した。前方から顔がうずくまってしまうほどの大きな荷物(大型テントを畳んだものだった)を担いでいる男性にすれ違った。すぐにお互い見覚えのある顔に気づき、車を戻して挨拶を交わした。いつもはモンテ・ベルデに住んでいるが、この時期カリフォルニア大学生物学夏季コースの講師として学生の相手を長く務めているフランク・ジョイス氏。今もモンテベルデ保護連盟の理事会のメンバーとしてあの一帯の環境保護に尽力しているはずだ。学生の頃、ジャンゼン教授の生きざまに心酔し、コスタリカに住みつき、モンテベルデとこの公園で生物学の研究を続けている。10年以上会っていないだけに本来ならばじっくりお話したいところだが、大きな荷物を担いで汗だくの彼の顔を見るととても引き留める気になれず、惜しみながら別れた。昨日まで公園内を場所を変えては課外授業を行い、この日は、学生と共にモンテベルデに移動するという。

 途中の原生林のあたりで教授夫妻が載ったランクルに追い越された。彼らは私のレンタカーを見ていないので、私が運転しているとはご存じない。公園入口の事務所前で下車してスタッフたちに挨拶しようとすると、ちょうど前方から外国人の訪問客を公園内に案内するカストロ氏と目があった。教授夫妻とは懇意な間柄で、以前サンホセや最近ではリベリアからここを訪問するときに世話になったこともある。

 公園を出て、パンアメリカン幹線を5キロほど南下して、テンピスケ側の支流テンピスキート川の橋を渡った先で左折し、内陸部に向かった。蛇行した坂道を徐々に高度を上げていくと、今来たサンタローサ国立公園と周辺地域が一望のもとに見える。反対側には向かって左からリンコン・デ・ラ・ビエハ、カカオ、オロシの山並が連なっている。この日は上空は白い雲に覆われていたが、10年ほど前からまったく雲に覆われない日々が乾季に多くなったという。それに伴い、常時多湿状態だった雨林が徐々に乾燥度を増し、生態的な機能に異変が見られているようだ。一つの例は、以前雨林地帯には姿を見かけなかった、低地のアリ類が分布を広げているという。単純に温暖化が原因と決めつけるわけにはいかないが、今まで常時雲に覆われていた一帯で雲が途切れる日数が増えるにつれ、大きな変化を受けているのは確かなようだ。このような現象は太平洋側斜面で顕在化していることから、教授たちはカリブ海側の湿潤林地帯の一部を保全地域に取り込もうと躍起だ。

 ケブラダ・グランデの市街地を過ぎ、10分ほど車を走らせると舗装道路が土道に変わる。以前と違い管理状態が改善しているのか、道の状態はよく穴ぼこは少ない。まもなく、小雨がぱらつき始めた。サンタ・ローサが乾季真っ最中で乾ききっている時も、この辺りは断続的に雨が降る。当然のことながら、植生も異なり、自然植生は熱帯雲霧林か雨林だ。伐採跡では、乳牛が放牧されている。導入されている牧草も、サンタ・ローサでは厳しい乾季を凌ぐアフリカ産の種類がかつては幅を利かせていたが、この辺りは豊富な降雨でブラッキャリアという種類が好まれている。放牧地帯のアップ・ダウンを繰り返し、時々渓流にかかった頼りない木橋をいくつか渡って上りつめた先が峠だ。右手にリンコン・デ・ラ・ビエハ、左手にはカカオ、オロシの山脈(なみ)が連なる。かつてはリンコンの麓一帯は乳牛の放牧が盛んだったようで、半分ほどが草地化されて自然林が分断されていた。
 2000年頃から当時のグアナカステ保全地域内では他の保護区とは孤立していたリンコン・デ・ラ・ビエハ国立公園と隣接するグアナカステ国立公園と連結することで、もう一つの国立公園のサンサ・ローサと合わせてこの地域の代表的な熱帯林である乾燥林、雲霧林、雨林そしてそれぞれの移行帯を加えて名実共に熱帯生態系の保護区にしようとする試みが進行していた。

 リンコン=カカオ生物回廊計画は保全地域内では最も高い約2,000メートルのリンコン火山生態系と湿潤林・乾燥林へと続く低標高の生態系と連続させることによって、すでにジャンゼン教授研究グループが明らかにしていた季節性の動物の移動(哺乳類などの大型動物の他、鳥類や鱗翅目の一部で集団移動する)先の生息地を保証しようというものであった。回廊予定地の買収のための資金はスウェーデンや米国の支援により進行していた。2003年から取得した土地の草地化した一帯(長期間家畜が放牧されることなく時間が経過していたため厚い草の絨毯(じゅうたん)となっていた)を元の湿潤林の森に再生させる作業が始まった。

 初めの3年間は“にっぽんこどものじゃんぐる”の全面的な支援をバックに保全地域やこの一帯の住民の協力を得て進められた。当初は、サンタ・ローサ国立公園で実践された熱帯乾燥林再生のための経験を元にした技術や作業が適用された。しかし、一時的に降雨量が減少する時期があるものの、周年降雨のある自然条件下に適した新たな方法を発見するために、試行錯誤が繰り返された。乾燥林では風などの無機的な要因により種子の伝播を行う樹種が多いのに対し、湿潤林を構成する樹種の多くの種子伝播が鳥類、コウモリ、哺乳動物によって担われているという。そのうえ、湿潤林の多くが苗木の成長には菌根菌(熱帯林地帯に生息する土壌共生菌)の存在が極めて重要な役割をしていることが判明した。
 また、難渋を極めたイネ科牧草の成長の阻止の良策が意外に身近なところにヒントがあった。この辺りでパルプや木材用に植林されているGmelina(メリーナ)というアフリカ原産の早生樹の大きな葉の日陰でイネ科牧草の成長がまたたくまに衰えることが明らかにされた。その後、計画地域内の広い面積にメリーナの苗木が植えられ、2年もたたないうちにあれほど繁茂していた牧草が壊滅してしまった。ここを訪れた鳥類などが休止した時に落とした糞や食べかけて捨てられた果実の種子から芽生えた在来の樹種が現在は順調に成長し、いまではバクやピューマなどの大型動物のけもの道さえできあがっている。周囲との自然植生に完全になじむまでにはまだ相当の年数が必要であろうが、生物回廊としての機能はすでに果たされつつあるようだ(第6回完)。












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