城殿さんのマナグア通信 番外編:コスタリカ見聞録2
パリスミナでの世界湿地デーの催しは4月3日から5日までだったが、私たちは2日目の“ウミガメに関わる法制度”についての公開討論会の後、一足先に退席した。来た時とおなじ太陽が照りつける下、船着き場に向かった。本流に出ると水煙を蹴立てておよそ20分ほどでレベンタソン川の合流地点に設けられたカーニョ・ブランコの入り江に到着。下船後、仲間たちはそれぞれの車に乗り込むかその場のレストランで一服するか、それぞれに散らばっていった。
私たちは公園事務所のエリックさんが運転するトヨタ製プラドに乗り込んで、バナナ畑が広がる中の土道を一気に通り過ぎて行った。すでに正午を過ぎていたが、ロハス所長がお奨めのレストランまで鳴き始めたおなかを黙らせ、シキーレスの町と事務所のあるグアピレスのなかほどの大きな林に囲まれた池の畔にある観光レストランに車を止めた。ロハスさんいわく、ここの所有主はペットのワニ(といっても今は2メートル以上に成長しているというが)と戯れる様子をお客に見せるのが得意のようである。あいにくこの日は不在ということで、大きなテラピア(アフリカ原産であるが世界的に広く養殖目的で導入された淡水魚の一種。白身の癖のない味。)を丸ごと油で揚げた昼食を掻きこんで満腹感のなか事務所に向かった。事務所で半年前に始まったJICA支援のプロジェクトの進み具合をうかがいながら、満腹感の後の眠気覚ましにコーヒーをすする。
午後3時半を回った頃、皆さんと別れ、一人レンタカーに乗り込み、この日からしばらく滞在するサント・ドミンゴ・デ・エレディアの市街地から外れたサント・トマス地区にあるホテル・ブーゲンビリアを目指して出発した。一方通行の多いグアピレスの町中をぬけると、その先に国道32号線との合流地点。目的地までは1時間とかからないが、ひたすら上り坂と蛇行の続く山道。おまけに工事中や大型トラックがひっきりなしに走り、上りがきついところでは思うようにスピードが出ないので、自然と渋滞になる。さらに、この日は週末とあって首都からの日帰り客が多い。大型車が吐き出す排気ガスで山間地の爽やかな空気を吸うこともなく車を走らせる。ところどころに設けられた車寄せのスペースを見つけては、途中デジタルカメラでパチリ。高度を上げ、峠に近い一帯では霧が立ち込め、視界が遮られる。
ヘッドライトを照らし、目を凝らしてコスタリカ国内の国道で唯一・最初に掘られたスルキのトンネル付近まで来て、霧もすっかり晴れ渡った。この少し先で国立公園では最大の面積のブラウリオ・カリーリョ国立公園もお別れ、その先は山間地から一気に展望が開ける。15分ほど見通しのきく道路を走ると、ホテルへの近道につながる地点。少し手前に目印になる満開をすぎた花に包まれたロブレの木。大きく左折して国道の下を潜り抜けると、急な下りでしかも激しい蛇行のカーブ。一番低い場所にかかった吊り橋をゆっくりと渡りぬけると今度は急な登り坂。登りきった先の分岐点を左折して200メートルすると右手にホテル・ブーゲンビリアの入口。今は入口で来訪者をチェック、その先の駐車場も2年前と比べても拡張されている。玄関前に置かれたカレータは今も同じ場所に据えられているが、正面口の置物や飾りは訪問するたびに豪奢になっている。以前はホテルの名前から様々な色のブーゲンビリアの植栽が目を引いたが、今はコスタリカの国花のランやらブロメリアやら私眼にはけばけばしく少々食傷気味に映る。
ホテル・ブーゲンビリアとの縁は80年代後半にさかのぼる。当時は今のようにホテルの部屋数も半分ほどで朝食前の散歩に恰好な広い庭もなかった。しかし、ホテル関係者たちの対応もきびきしており、各人がサービスを売り物にしている職業に従事しているという自覚が随所に感じられた。以来、公用などでコスタリカを訪れた時には、同行者がいないときなどは利便性は抜きにしてこのホテルを贔屓(ひいき)にしている。
ホテルとの縁が特に深くなったのは、1993年から1997年までJICAの長期専門家として同じサント・ドミンゴ市内にある生物多様性研究所(正式名はInstituto Nacional de Biodiversidad、略してINBio。国立を意味するNacionalがついているが、非営利の民間組織。通常、JICAの専門家派遣は公的機関に限定されるが、この時は環境エネルギー省(当時)からの公式要請で執務先は同研究所という位置づけでした)の技術顧問として勤務していた際に、ホテルの隣に完成したばかりのコンドミニアムの一角に住んでいた時。もともと、このコンドミニアムはホテルのオーナーであるドン・ハンス(10代のときに母国オランダを飛び出して、サンホセ市内の某ホテルの料理見習いから1代で現在の財をなした、コスタリカ実業界でも伝説の人物の一人といわれています)が奮起して始めたプロジェクトで、完成後は各戸が分譲された後も、隣のホテルの施設がほぼ自由に使用できるという利点があった。単身赴任で、月のほとんどは当時INBioが最も力を入れていたグアナカステ保全エリア(今回の旅行での最後の滞在地のサンタ・ローサ国立公園はその中の一部で、この場所については後日改めてお話します)を舞台にした全生物群生物多様性インベントリー事業の関係の活動に関与していたことから、何日間も留守しても盗難に遭ってもぬけの殻(実際、一時帰国中にそのような目に合われた某JICA関係者がいたという)にならないように、居住場所の選択には慎重になりました。
そんなわけで職場にも近く、それでいて単身赴任者にも気楽に過ごせるという点で、この物件を選ぶことになりました。たまたま家主が借主との経理上の一切のことをホテルのオーナーに代行させていた関係もあって、ドン・ハンスとはその後家族ぐるみにお付き合いをすることになりました。留守から戻ったある日、彼自らホテルの従業員を引き連れ、水圧でトイレの導水管が破裂して床が水浸しになった我が家の応接間で水をかき出すのに必死になっている姿は今でも記憶に残っています。そんなこともあってコスタリカに立ち寄る時にはいつも彼のホテルのお世話になるのは、彼の元気な姿を見たいがためなのかもしれません。今回も4月4日の夕刻からグアナカステへ移動する8日の朝までこのホテルに滞在し、朝夕は野鳥のさえずりが絶えない広い庭の中心にあるグアナカステの木の樹陰で寛いだり、日帰りで中央盆地の馴染みの場所をブラリ一人旅。なにかセンチメンタル・ジャーニーぽくなってきましたね。次回は、タパンティ国立公園。(第二回完)。






0 comments:
コメントを投稿