城殿さんのマナグア通信 番外編:コスタリカ見聞録1
4月1日から11日まで休暇をとり2年近くぶりにコスタリカを訪ねました。昨年同様、カトリックの信者にとっては最も神聖なセマナ・サンタ(聖週間、イースター)の時期に合わせ、だいぶ前から訪問先と連絡をとっていました。1年のうちでもクリスマスの時期と並んでまとまった休暇が取れる時期とあって、訪問先の皆さんも以前から計画していたようで、今回の旅行で会えなかった古くからの友人も多勢いました。特に以前勤務したことのあるINBio(生物多様性研究所)の連中には直接は会えませんでした。しかし、行き当たりばったりの今回の旅で、馴染みの顔ぶれと再開すること以外にいろいろ興味ある場面に遭遇しました。そんなわけで、何回のシリーズになるか書いてみないとわかりませんが、旅先で私自身が見聞し体験したことをしたためてみました。初回はマナグア出発からカリブ海の漁村で満喫したレザー・バック(日本語ではオサガメ、現地ではバウラと呼ばれています)の産卵場面までをお伝えします。
4月1日(水)の午前9時ちょうどにマナグア市のアウグスト・サンディーノ国際空港からLR676便は定刻どおりに飛び立ちました。チェックインから搭乗までに2時間ほど待たされますが、コスタリカのサン・ホセまでの空路はたった50分ほど。機種は最近JALも購入したというブラジルEMBRATER製の中距離機。サン・ホセまでの航路は離陸後暫くするとマナグアの南にあるチチカカ湖についで世界第二の淡水湖ニカラグア湖(現地ではコシボルカといった方が通りが良いでしょう)上空を南下、以前このブログでご紹介したことのあるオメテペ島こと“ひょっこりちょうたん島”を眼下に見下ろし、まもなく国境を通過。すると、すぐに“じゃんぐる”にはなじみのグアナカステ保全地域の上空。右手には乾季も終盤を迎えた茶褐色の熱帯乾燥林地帯の至る所に黄色のコルテサ・アマリーリャ、左手には白い雲で山頂付近が包まれたオロシ、カカオ、リンコン・デ・ラ・ビエハの山脈。やがてアレナル湖の水面が広がる頃にはモンテベルデの緑濃い雲霧林が前方に広がる。右手には霞がかかったニコヤ湾が見下ろせる。見慣れた場所に感慨に浸る間もなく、やがて中央盆地のコーヒー地帯が視野に入る頃には着陸態勢に。
瞬く間に過ぎた50分間の空の旅を終えてターミナルビルに足を運ぶと、マナグアの空港とは対照的に観光客でごった返している。入国手続きも意外とスムーズで、そのまま出口に進むと、あらかじめインターネットで予約しておいたレンタカー会社の社員がプラカードを持って待機。空港付近の駐車場に止めてあったバンに誘導され、それに乗ってまずはサン・ホセ市内にあるオフィスへ。保証金(1,000ドル)と車利用料を手持ちのクレジット・カードで処理しようとするとそれなりの額になるためブロックがかかり、当てが外れる。結局、旅先での経費をすべて落とすつもりで出発前に残額を補充しておいたカードは利用できず、念のために持参した日本の銀行のカードで再度試してやっとクリア。結局、今回の旅行で利用したレンタカーの経費はこのカードで落とすことに。後日、留守宅のカミさんが驚かないように、早速この日の夜に宿泊先から釈明の電話。なんとかレンタカーを手にした後は、昼食時の渋滞の中をカリブ海側のリモンに続く国道32号線への合流地点へ。自分が住んでいたころと比べると道路も整備・拡張されているが、ピーク時にはさすがに車の許容量を超えてしまい、交通渋滞は日増しに深刻度を増しているようだ。当然車の排気ガスによる大気汚染もひどいようで、対策として最近はナンバープレートの数字で交通量をコントロールしているようだが、随所で交通警察が目を光らせている。国道32号線に入ると交通量も一段と少なくなったことからアクセルも自然と踏み込みに勢いが出る。
ブラウリオ・カリーリョ国立公園の手前の料金徴収所から1キロほどもどったところにあるレストランで遅めの昼食をとる。このレストランは以前住んでいたサント・ドミンゴから近いことから時々利用したことがある。たまたま店内が空いていたことから私の顔に見覚えがある店主が話しかけてきた。腹ごしらえを十分にし、眠気覚ましのエスプレッソを飲み干し、再び車に。この季節、比較的霧が少ないというが、この日はブラウリオ・カリーリョ国立公園の標高の高い一帯は霧に包まれ、慎重に運転する。峠を越えて、下り坂が続く蛇行の多い道を進んでいくと公園の境界になっているリオ・スシオ(汚れた川の意味)の硫黄色した川面が目に入る。ここまで来ると、この日の投宿地グアピレスの町まで10キロほどの道のりだ。
国道から左の折れ、グアピレスの市街地に向かう。Hotel Suerreはこの町のはずれにあるというが、一方通行が多いのでいつの間にか見当違いの方角に向かいがちなので、GPSを見やりながら所々で通行人にホテルの方角を聞く。Hotel Suerreは2007年8月にJICAの新しいプロジェクトの形成に来たときに泊まったホテルです。当時は建て増し中だった部分もすっかり完成し、工事現場のすさんだ光景もありません。隣接する立派な競泳用プールではカナダのナショナルチームが合宿中で、朝から夕方まで泳いでいました。週末だけは一般客にも時間を限って開放しているということでした。この日の夕方、JICA専門家として半年ほど前からプロジェクトに関わっている大澤さんと日本側のコンサルタントをされているF.アソフェイラこと”チコ“さんがホテルに出向き、事前評価調査以来の再開。国道近くのレストランでマリスコス(コスタリカ版海鮮料理)に舌鼓を打ちながら歓談。
翌日、ホテルから車で数分の町中というのに渓流が流れている一角にあるトルツゥゲーロ保全エリアの地域事務所を訪ね、15年来の付き合いのL.ロッハス所長と四方山話。ついでにプロジェクトの進捗状況についても論及。最近やっと約束したカウンターパートが揃い、これから本格的な活動が展開できる見込みという。このプロジェクトは管内の北部のニカラグア国境に近いバラ・コロラドという国立野生生物非難区という保護区の管理を当局と住民が一緒になって行おうというもの(協働管理)。期間は3年間。生物保護区や国立公園など保全を優先するカテゴリーの保護区とは異なり、野生生物避難区というのはもともと住民が以前からその中で生計を営んでいることが普通で、まさしく保全と利用の両立の程会いが難しい。保全当局者と住民との間の信頼関係がミソ。一般に日本では環境先進国と紹介されていることの多いコスタリカでもこれまであまり手掛けたことのない領域。その意味で期待されるところ大であるが、それにしては日本側投入はわずか。前線で働く専門家個人の力量に負うところが大きい。
大澤さんには、コスタリカにはあちこちで先進的な試みがなされており、プロジェクトの活動を通じてできる限りそのような所に関係者と足を運び人脈をとにかく広げるべしと発破をかけた。翌日から3日間事務所関係者は2か月遅れで管内で開催される国際湿地デーにほぼ全員が出向くという。私も便乗して翌朝からロハス所長と大澤さん、エリックさん(バロ・コロラド生物避難区の責任者)と1泊2日でご一緒させていただいた。車は国道32号線を西に飛ばし、シキーレスの町で左折し小1時間土埃が舞い上がる道を進む。沿道にはバナナ畑と時々パイナップルの畑。
終着のカニョ・ブランコからは遊覧船で20分ほど水煙を蹴立てて河口の入り江にあるパリスミーナの船着き場へ。パリスミーナは人口500人にも満たない寒村。住民の多くは零細な漁業を営んでいるが、最近はウミガメツアー客を受け入れる宿泊施設で生計を立てる人たちも増加しているという。今回この寒村がなぜ2か月遅れの世界湿地デー(1971年2月2日に通称ラムサール条約がイランのラムサールで採択されたことを記念して設けられた。当初は渡り鳥の生息域を保全することが目的とされたが、現在では広義の湿地保全を目指している)の開催地に選ばれたかについてはとうとう聞きそびれてしまったが、推測するにこの村の住民が零細な漁業からウミガメ保護を通じたエコ・ツーリズムに自分たちの生活基盤を切り替えようと努力している姿勢が認められたからであろう。
ちなみにコスタリカには現在ラムサール条約登録湿地が11か所あるが、カリブ海側は北東部の湿地群とパナマ国境に近いガンドカ-マンサニーリョの2ヶ所のみで、多くは太平洋岸のグアナカステ県に集中している。今回会場となったパリスミーナ村も登録湿地にしようという動きはあるものの、とりわけ保護区に指定されているわけでもない。しかし、ここは国内的に見ても、ウミガメのうち最大のバウラ(レザー・バック)の産卵地としてその重要度を増している。
3日間の行事の中には3回のラウンド・テーブルが持たれ、様々な立場の人間が公開討論を重ね、今後の具体的な措置をデザインする契機にしたようだ。初日の少し欠けた月と星座が浜辺を照らす午後11時過ぎに仲間たちと遅めの夕食を切り上げ、浜に出た。月明かりが明る過ぎる夜はウミガメの上陸には不向きということであったが、この時間には月はやや西の空に傾いていた。最近上陸記録があるという方角にゆっくり歩を進めながら、途中で一服することを何度か重ねながらおよそ1時間後に、この浜でウミガメの観察にあたっている研究者とボランティアの若者たちが赤い灯火で上陸して産卵活動に入ったオサガメを発見の合図。
ゆっくりその方角に一同移動し、5人ぐらいのグループに分かれて産卵場面を満喫。この間、研究班はカメが用意した袋に産卵するように誘導したり、体の各部の計測。この夜に上陸して産卵していった3頭のオサガメはいづれも2メートル以上の甲羅のサイズがあった。カメの甲羅を触ってみると、他の種類と違って滑らかなまるでなめし皮のような感触である。まさにレザー・バックという名もそれから由来している。最初の場面で30分あまりしゃがみこんで観察していると、産卵するために80センチほどの深さの穴に大きなうちわのような前後の足で砂をかぶせる作業に入った。その場から数メートル離れていても豪快な音と共に砂粒が飛んできた。砂かぶせが終わり一帯が平坦になった頃には月の位置も砂浜に沿って続く森のかかるほど傾いていた。時計を見ると午前1時半を回っていた。久しぶりに見た感動的な場面に興奮もやまないまま家路を急いだ。(第一回完)。







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